メッセージ

Wii開発が自分を変えた。地元に帰って気づいた豊かさ

   

2018年8月15日:更新

移住者からのメッセージ

プロフィール

   玉樹真一郎さん/1977年八戸市出身。東京工業大学、北陸先端科学技術大学院大学へ進み、プログラマーとして任天堂就職。
          全世界で1億台を売り上げた「Wii」の企画・開発に関わる。2010年に退社し、八戸市にUターン。
          「わかる事務所」を設立し、コンサルティング、講演、セミナーなどを行う一方、八戸学院大学で学長補佐・
          ビジネス学部特任教授も務める。


本当に自分がやりたいことは何だろう


ファミコンが流行った1980年代、ほとんどの子供たちはテレビの前で夢中になる一方、親からは「目が悪くなる」とか「勉強もしないで」などと叱られたのではないでしょうか。

玉樹真一郎さん(41)もその一人でした。

「小学校低学年の頃、友達の家で初めてファミコンに触れて、驚いてしまったんです。テレビの画面を自由に動かせるなんて、これはすごいとのめり込んでしまいました。テレビゲームの黎明期と私の青春はピッタリ重なるんです。ずっとゲームに夢中でした」

玉樹さんの場合、叱っていたのは一緒に暮らしていたおばあちゃんでした。優しくて大好きなおばあちゃんだったけれど、ゲームのことだけは分かり合えなかったそうです。「それが私にとっての原体験です」と玉樹さん。

ゲームソフトをつくれたらすごいだろうなと思いながら、高校に入学してすぐにプログラミングをやりだし、3年生の時、旺文社プログラミングコンテストに応募。それがグランプリを受賞してしまいます。これがきっかけで進む道はコンピュータ系と決め、東京工業大学へ進学しました。

「当時の僕は恥ずかしながらプライドだけは高くて、ああこれでダサい八戸から脱出できる。ここにいてはダメだ、と地元を下に見ていたんです。正直なところ」

ところが、大学へ入ってみると、周りの学生が優秀過ぎて、自分は一流のプログラマーにはなれないのではとショックを受け、それまでのプライドが折れてしまう経験をします。

「本当に自分がやりたいことは何だろう」と悩み考えた結果、自分はプログラミングが好きなのではなく「ゲームの企画を考えること」が好きなのではないかと考え、石川県にある国立北陸先端科学技術大学院大学の大学院へ。そこで2年間、問題解決方や発想方などアイディアの出し方を学び、以前からファンだった任天堂への就職を試みます。


ばあちゃんでも楽しめるゲームを


ゲーム業界の巨人として知られる任天堂。その難関に玉樹さんは見事合格します。「飛び上がるほど嬉しかったですね」。当時を思い起こし、玉樹さんは話します。

そして任天堂で働き始めて1年半ほど経過したところ、後に"世界を変える"大きなプロジェクトの一員として働くことになります。新たな家庭用ゲーム機のコンセプトを作る仕事でした。

プロジェクトの企画というのは、まずコンセプトを考えなければなりません。ゲーム機では、そのコンセプトに沿って、あらゆることを決めていきます。機体の色もコントローラーのボタンも、すべてです。

玉樹さんのチームが苦労の末に生み出したコンセプトは、「家族みんなが楽しめる」というものでした。


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「私の中には、世話になったばあちゃんへ恩返しをしなければという想い、ゲームだけは分かり合えなかったばあちゃんでも楽しめるものを作りたいという想いがありました」

その結果、企画段階から5年がかりで生み出されたのが、家庭用ゲーム機として世界累計1億台を売り上げた「Wii(ウィー)」。これまでのゲームといえば、どんどん性能を高め、一人でコントローラーを操作して遊ぶもの。ですが、Wiiはその概念を覆し、家族みんながワイワイ声を出し、体を動かしてゲームを楽しむというもの。性能競争をしていたゲーム業界では画期的なものだったのです。

とはいえ最初はなかなか浸透しなかったと言います。「誰もが無意識に当たり前だと思っていることをパラダイムといい、それを変えてしまうことをパラダイムシフトといいます。その大きな変化、シフト感は、社内ですら当初は理解されにくいものでした」と玉樹さんは判りやすく話してくれます。




故郷に対する想いが変化


こうしてWiiの開発を成し遂げた玉樹さんですが、30歳の頃からモヤモヤとした複雑な思いを覚えるようになります。

都会生活が自分に合わないのではという思いと、故郷の新鮮な魚介類や野菜、自然環境など、人が暮らす本来の豊かさがあったのではという思いがふつふつと湧いて、それに気づかなかったことへの後ろめたさを感じるようになってきたのでした。

さらに、会社で学んだ素晴らしいノウハウを外で生かしてみたい、故郷で生かせたら何か役立つことができるのでは、それを試してみたいといった気持ちも高じてきます。こうした思いが入り交じり、会社を辞めるかどうか3年間以上悩んだ玉樹さん。心中では、「会社を辞めたら収入はどうするのか」「楽しい仕事をしたい」「自由に企画を考えてみたい」との思いがぐるぐる駆け巡ります。

そして最終的に出た結論が、「田舎で起業すれば、すべて解決できる」。9年間働いてきた任天堂を辞めUターンすることに。2010年の33歳の時でした。



地元に帰って気づいた「豊かさ」

八戸へUターンした玉樹さんは、すぐに「わかる事務所」を設立。その事業内容は、企画・コンサルタント、セミナーなど。任天堂が大切にする「誰にでも遊べなければ、意味がない」という考えを「わかる」という言葉に集約し、屋号に冠します。

「地元に帰ってきて真っ先に気づいたことは、食と自然の豊かさでした。やはり、一度外へ出ないとその良さは分からないですよね。次に気づいたのは、地域周辺の人は何かにつけて気にかけてくれていること。社会ってこんな風にできているんだなあって。無視されていないんですね」と玉樹さんは話します。

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青森で移住者同士の交流会の進行を務める玉樹さん

食については、よく道の駅めぐりをしながら野菜を見て歩くのが好きで、土の付いたままの野菜を買って食べる時に幸せを感じるのだそうです。特に、旬の果物や野菜が終わる頃、来年がまた楽しみだと思えるのは素晴らしい豊かさだといいます。帰郷して結婚し、現在は2人の娘さんと4人暮らしをしている玉樹さん。子供さんたちには四季の豊かさ、自然の素晴らしさを感じさせるようにしています。

現在、自分の会社の他にも八戸学院大学の学長補佐として人材育成に取り組み、個人事業主としての仕事では地元よりも県外からの方が多く、あちこち走り回る毎日を送っています。

「田舎暮らしで豊かに暮らそうとしたら、インターネットを活用していくことが必須のスキル。それを身につけられれば、田舎・都会の別け隔てなくお仕事させてもらえます。地元の豊かさに囲まれた生活をしつつ、たまに都会で仕事をするのが、個人的には最高の働き方です」


※Wiiは任天堂株式会社の登録商標です。



【イベント情報】

八戸市にUターンし、家族とともに地元の豊かさを楽しむ玉樹さんに直接お話を聞いてみよう!
ゲストトークに登壇し、記事に書ききれなかったWii開発秘話も面白おかしく伺えます。

青森県の三村申吾知事や、ご夫婦で青森に移住してきたゲストさん、青森で活躍している女性人財も登壇予定!
この機会をお見逃しなく!


★☆青森県合同移住フェア☆★
平成30年8月25日(土)13:00~17:00
サピアタワー5階 サピアホール(東京駅八重洲北口から徒歩2分)
詳細はこちら! http://www.aomori-life.jp/event/ijyuevent/detail.php?id=876

事前申し込みはこちらからどうぞ → 申込フォーム


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