中鉢 徹さん/ 出身地:神奈川県、移住地:五所川原市、職業:陶芸家 |
神奈川県横浜市出身。1968年生まれ。文化学院芸術専門学校陶磁科で陶芸をはじめる。東京都世田谷の田中宏氏に11年間師事。2001年に独立し、下北沢で陶芸教室を主宰。2002年、津軽金山焼主催の第1回世界薪窯大会に参加したことを機に、津軽の人と風土に魅せられ、2008年に一家(夫婦、子ども3人)で移住。
津軽金山焼の世界薪窯大会に毎年参加

文化学院芸術専門学校の陶磁科で3年間勉強し、世田谷にある松原工房の田中宏先生に師事して、11年間いろいろ教わりながら働かせてもらい、独立して下北沢に自分で教室を開いたんです。一軒家を借りて、窯も置いて、住まいと仕事場が一緒という状態で教室を開いて、移住してくるまでずっとやっていました。
女房が板柳町(青森県北津軽郡)の出身だったので、青森には度々来る機会があって、その時こちらの津軽金山焼の窯元を紹介してもらい、窯元から世界薪窯大会に出ないかと誘われたのがきっかけで、2002年から9年間ずっと参加させてもらいました。
移住してくるまで東京から毎年通いましたよ。凄くいい大会だったんです。世界中からトップアーティストが集まって焼き物の交流会をやる。でも、大会プログラムが1ヶ月とあって、さすがにフルで続けると東京の教室を休むことにもなってきついので、2週間ぐらいだけ参加させてもらっていました。でも、半分しか参加できないのがちょっと悔しいなと、どうせ自営業なんだし、こっちへ引っ越してきた方が参加しやすい、女房の実家からも近いし、焼き物をやっていますから土地は広い方がやりすいわけです。都内で薪窯焚いたりすれば消防車が来てしまうので、諦めて釉薬をかける焼き物をやっていたんですけど、本来は薪でダイナミックに炎を起こして焼いていくという焼き物の方が魅力があるわけで、その焼き物を身近にやれるところがあるのであれば、移住した方がいいのかなと女房に相談しました。
生活スタイルは下北沢とあまり変わってない!?

下北沢に住んでいた時は、職場と住まいが一緒で、ここも距離的にはそう離れていないので、ほぼ同じ感じです。下北沢というエリア自体、ちょっと下町っぽい庶民的な街なので、泥がついたジーンズとかでうろうろしてもそんなに「何この人」っていう顔はされなかった。何か道具が足りなくなったりすると、近くの金物屋さんまで、ドロドロのまま買いに行ったとか。歩いて10分もすれば、下北沢の駅まで行っちゃうので、買い物しようと思うと大体15分ですかね。ここも、エルムショッピングセンターまで車で10分くらいですよ。なんでしょう、生活のスタイルとしてはあまり変わっていないんですよね。
職場の外から通っていいよって言われたんですけど、どちらかというと近い方がいいし、どっぷり浸れるじゃないですか。自営って時間の区切りが無いというか、筆で文章を書く作家さんにしても、アイデアが湧けばすぐ書きたいのと一緒で、僕らもアイデアが湧けばすぐ作りたいわけです。それを住居と仕事場って分けてしまうとなかなかできないし、粘土を作るとかいろんなことにおいて時間で仕事する、時間で休むというふうにできない部分もあるんです。やっぱり仕事場の近くに居た方が何かといいなっていうのはあります。
最近は、忙しくて作りがなかなかできず、特に夏場が忙しくて、冬場が暇というのがこっちのスタイルなので、冬場に作って、夏場は教室という形になります。
青森の魅力は、食べ物がどれも圧倒的に美味しい
東京にいる時に、義理のお母さんから食べ物を送ってもらうんですけども、東京のスーパーで買っているものより、どれも圧倒的に美味しいんですよ。例えば、タラコって、東京のやつって味がしないんですけども、やっぱり送ってもらったやつを食べれば濃厚というか、味が凄いしっかり乗っている。鮮度が違うせいですかね。
りんごにしたって、東京のスーパーで買うりんごはめちゃめちゃ高いんですよ。高いし、食べると実はそんなに美味しくなかったりして。表示を見ると○○県産って付いていたりして、やっぱり青森県産の方が美味しいなって思ったり。
帰省したときに義理のお父さんにいろいろ振る舞ってもらったりするものが、普通のものなんですが美味しいんですよね。食材が圧倒的に良い、優れている、美味しいというのは凄く感じました。
青森は資源の宝庫だ

陶芸教室で生徒さんにもよく話しますが、粘土だとか、材料の薪なんかにしても凄く豊富に手に入るのが青森県なんです。よその県というのは、焼き物の歴史がそこそこあるので、粘土を取り尽くしちゃっている部分もあるんですけど、東北は、そういう意味では、雪が降るので、暖房だとか除雪とかの関係で、なかなかそういうのが発達しなかったんですね。うんと古い時代になると、今より気温が高かったりとか、いろんな理由で逆に栄えていたりして、それが三内丸山遺跡なんかに証拠が残っていたりするんですけど。そういう、かつては一大産地だった場所だけども、そんなに使っていないから在庫がいっぱい、資源がいっぱい豊富にあるよというのが青森県なんです。
しかも、薪も、よその県は松くい虫というのが沢山入ってしまっているので、焼き締めで、薪窯で一番主要な燃料のアカマツが、よその県は手に入り難いという実情があるんですけど、青森県はそれが未利用材というか、あまり利用されていない材として沢山あります。
それから、間伐した木だったり、柱にした時の丸太の端っこの部分とかが産業廃棄物として処理されるわけですね。それは、やっぱりもったいないですよ、まだまだ使えるものを捨てちゃうというのは。焼き物の温度を上げていくのには、そういうものは凄く適しているので、どんどんうちで買うから持って来てって喋っておけば、幾らでも手に入る。そういう意味でも、環境が凄く整っているんですよ。そこが、よその県とは段違いだと思うんですよね。
先ほどの世界薪窯大会で世界中から陶芸家がここに来る。そうすると日本だけではなくて、世界中の陶芸事情というものを知っている人達が集まりますから、ここはなんという素晴らしいところなんだって力説してくれるんです。人によっては、ここはパラダイスだと言う人もいるし。そういう海外から見ても凄く良いところというのが、この五所川原の金山なんです。
だから、食べ物が美味しいというだけでなく、そういう土地、環境にしても、気候風土にしても、今は除雪なんかもちゃんとされてて、昔とは違うので、そういう意味でも凄く魅力的なところなのかなという気がします。
子育てはのんびりと、家族一緒に自然を楽しむ
都会よりは、やっぱり地方の方が、子どもを育てるのにはいいのかなという思いもありました。都会って便利なんですけど、大人にとって便利なんであって、子どもにはあまり便利じゃないんですよ。子どもには窮屈なのが都会だと思うんです。人間関係もギスギスするし、それはやっぱり人が多すぎるせいだと思うんです。もうちょっとのんびりしたところで育った方が人間的な感じでいいのかなと。
うちの子ども達は、素直で「どっか行こうよ」って言えば、「えー」ってならなかったので、割とよく一緒に出掛けてました。最近は学校の部活とかいろいろあって結構忙しいので、振られることの方が多いですかね。
何でしょう、都会にいるとディズニーランドとかに行くのが凄く重要なことだったりするじゃないですか。でも、こっちはそうではなくて、例えば八甲田の方に行ってみようとか、奥入瀬まで足を伸ばしてみようかとか。すると入ったことのない温泉があったりして寄ってみようか、みたいな行き当たりばったりができる。ある程度は計画して行くんだけども、ただ何も無いところに行っても意外に楽しめるというか、何か遊戯施設がないと遊べないというのは、多分都会だからだと思うんですよ。子どもはどう思っているかしれないけど、お弁当を持ってどこかに行けばそれで用が足りちゃうみたいな。
ラッシュの中、子どもを連れたり、ベビーカーで移動するって、凄い疲れるんですよ。しかも、それで遠くの公園まで行って遊んで、またラッシュで帰ってくる。何のために出掛けているんだろうってぐらいヘトヘトになって帰ってくるんですよね。
でも、こっちだと車が移動の殆どになっちゃうので、運転手は疲れるんですけど、他の人は寝ててもいいので、そういう意味ではリフレッシュしやすいんじゃないですかね。最近、子ども達と出掛けるのは減ってきましたけど、代わりに夫婦二人でというのが結構多くなって、温泉に行くことが多いですね。八甲田の方に行けば蔦温泉に行ったりとか、蔦に行きつつ奥入瀬のあたりまで行って、ただ歩いて帰ってくるとか、それだけで十分に楽しめますね。
なんといっても「温泉」と津軽平野の「空」は最高!

やっぱり夫婦でのんびり行ける温泉が一番。たくさんいろんな種類の温泉が近くに、それこそ街中にだってある。よく夫婦二人で特に行きたいところがないと「温泉行こうか」って感じです。
あと、津軽平野の空が凄く好きです。「エンジェルラダー」って知っていますか。雲と雲の間から太陽の光が漏れて光の筋になっていて、「天使のハシゴ」っていう言い方をしたりします。あれを見た時に凄いなと思って。東京ではなかなか見られないけど、こっちは週1回とか、多いと毎日のように見れたりしますよ。また、津軽平野は、夕陽が凄く綺麗なので、私もよくその辺から見たりします。星空も綺麗です。
あおもり暮らしをしてみたい方へ
何度か通うのが一番いいんじゃないかと思うんです。何度も来てお祭に参加したり、津軽金山焼に来て陶芸体験したりしていくうちに地元の人との触れ合いが増えたりします。慣れてくれば「こういうことで困っているんだよ」みたいな本音も出てくるので、やっぱり何度か旅して、通って、地元の人と仲良くなるのが一番の近道な気がします。
あとは、自分の暮らしの中で何を捨てて、何を選択するか。僕の場合、あまり都会には固執してなかった。ただ、人がたくさんいると商売をやる上では都会の方が経営は楽かなというのはありましたけど、「マーケット」と「住む」ということはイコールではないと思っています。
地方から発信して都会へ販売していくような、そういうマーケットでもいいわけで、まず来て、自分がその土地に来た時に何ができるのかなって、シミュレーションをいっぱい頭の中ですればいいんじゃないですかね。
収入は、東京にいる時と段違いに減っているんですけど、支出も減っているわけですよ。だから、家賃なんて向こうにいた時は25万円掛かっていたのが、こっちに来ればただ同然になっちゃうわけで、仮に収入がそのぐらい減ったとしてもトントンなわけじゃないですか。だから、収入だけ気にするのではなくて、支出についてもソロバンをはじいてみるのも大事かなと思います。
窯元と一緒にここに「産地」を作ることが夢
焼き物をこの地でとにかく続けていくということが一番の命題。窯元の影響が大きいのですけど、焼き物の産地づくりを通して地域の働く場を増やせたら、地域は変わっていくと思っています。
焼き物を作るのは、別にどこでも作れるんですけど、産地を作るってなかなかできないじゃないですか。全国には焼き物の産地は沢山あるけども、産地を作るというのは、よそでは多分できないでしょう。既存のものをどうこうするのはあると思うんですけど、ここは、窯元が一人で切り拓いてきたところで、まだ歴史も浅いので、そういう意味では、何でもありなんですよ。これをやっては駄目というのがないので、自由に発想して、いろいろチャレンジできる自由さがやっぱり凄く良かったんですよね。
だから、こういう環境で産地を作るというお題目を窯元が掲げているので、それを僕も手伝って産地を作るようなことができれば面白いですね。