井上信平さん/ 1974年兵庫県宍粟市生まれ。アメリカの大学在学中にねぶたに魅せられ、2002年に青森へ移住。 井上順子さん/ 1975年兵庫県宍粟市生まれ。信平さんの夢を共に叶えるべく、移住。持ち前の社交性を活かし、暮らしを楽しんでいる。 |
アメリカで知ったねぶたの存在
青森県平川市にあるデザイン会社を経営する兵庫県出身の井上信平さん(44)は、同郷の順子さんと共に2002年4月に青森へ移住しました。なぜ縁もゆかりもないこの場所を選んだのか。その理由は、ねぶたとの出会いでした。
信平さんは、高校卒業後アメリカの大学へ進み、グラフィックデザインを専攻。 ある日ふと、インターネットで「日本三大祭」を検索した時、出てきたある画像に目を奪われました。それが、ねぶただったのです。
「自分の中では、青森は寒い地域というイメージしかなかったので、こんなに色彩豊かな祭りがあるなんて、想像もしていませんでした」。歴史ある独自の祭りでありながら色使いはデザインの基礎に倣っており、それを地元の人達が手がけている。その文化に心が動いた信平さんは、青森の人と同じ空気や季節を感じれば、この色彩を生み出す答えがあるかもしれないと考えました。
信平さんが代表を務める株式会社0172のオフィス
帰国後は青森への思いもありましたが、地元・兵庫の印刷会社へ就職。働き始めて2年目に順子さんと結婚し、私生活も仕事も順調に過ごしていた中で、信平さんの心の奥に「こういう生活で良かったのか」という気持ちが出てきたのです。 「昔からやりたいことはたくさんあったのに、その目標をグレードダウンさせてきた。これじゃダメだ、夢を叶えよう、と青森移住を決心したんです」。
しかし、順子さんとの間には1か月になる長男が生まれたばかり。あまりにも突然の告白に、順子さんもお義母さんも戸惑ったそうです。 「お互いの実家が車で30分という近場に嫁いだので、私の母は反対しました。でも、主人と離れるという選択肢はなかったので、付いていこうと決めたんです」と、順子さんも信平さんの夢を叶えるため、移住を決意しました。
それからの行動は早く、会社へ辞表を出し、弘前市での就職が決まり、移住を決めてから2か月後の2002年4月には、青森へ移り住むことになりました。
岩木山との出会い
新しい土地で知り合いもいない移住生活。不安な気持ちで津軽の地に降り立った信平さんの目に、大きな岩木山が飛び込んできました。すると、山が信平さんに「ようこそ」と語りかけてきたのです。雄大でおおらかなその姿は、不安な気持ちを包み込んでくれるようでした。その瞬間「この山に会うために来たんだ」と思ったそうです。これが、信平さんと岩木山の出会いでした。
専業主婦だった順子さんは、見知らぬ土地で一人子育てをしながら積極的に母親教室に通ったり、持ち前の明るい性格で友達を増やしていきました。長男が3歳になった時には、生活を支えるため仕事を探し始めましたが、「子どもが病気の時は誰が面倒をみるのか」「津軽弁が分からないと困る」など、移住者特有の理由でなかなか仕事先が決まりませんでした。それでも、工場での仕事を見つけ、家庭との両立をなんとかこなす日々を送りました。
ねぶたに魅せられて訪れた青森でしたが、その魅力を感じる余裕もないまま月日が過ぎていきました。心身ともに疲れ切っていた信平さんは「頑張った分だけ成果があって、いいことが起こる仕事がしたい」と2010年に独立。パソコン1台で現在の株式会社0172を立ち上げました。
場所は平川市八幡崎というのどかな住宅街。弘前以上に周囲との関わりが濃くなる土地でしたが、そこは社交的な順子さんの出番です。地元の人と積極的にコミュニケーションを取り、子ども会の会長まで務めるほどでした。最初は遠目に見ていた地域の人たちも、玄関に野菜や漬物を置いていってくれたり、子どもの運動会では地区の人達が応援してくれたりと、徐々に打ち解けてくれたそうです。
「青森の人って、最初は警戒するんですけど仲良くなるとすごく近くなる。そのギャップに惹かれるのかも」という信平さん。紆余曲折ありましたが、八幡崎という場所が気に入り、青森へ腰を据えた気持ちになりました。
改めて知る「岩木山」と「祭り」のエネルギー
独立して時間に余裕ができた信平さんが始めたのが、絵を書くことでした。
キャンバスに向かった信平さんがまず描こうと思ったのは、自分を迎え、辛い時も見守ってきてくれた岩木山でした。
信平さんの岩木山の絵はSNSで広がり、展示会まで開いたほど。絵の依頼が今も絶えない
しかし、夕焼けの岩木山を描き始めたのですが、なぜか納得できない。もっと赤を足して、空は渦巻いて、色ももっと重ねて...と、自分の理性に反するように、手が勝手に描いていきました。それは、今まで信平さんが溜め込んでいた感情そのものでした。
そして、その絵の配色はどこかねぶたを思わせるものでした。
「青森に来て分かったのは、祭りにかける地元の人の異常なまでの情熱。それはもう大地からのエネルギーです。それを感じ取って、岩木山の絵に込めたんだと思います」。技術ではなく、素直な気持ちで感じるまま描くものこそ本来の絵なのだと、信平さんはこの時気付いたといいます。人の目を気にするのではなく、感情を表現することが大事だと、岩木山の絵を描いて分かったのです。
ハンバーガー屋と元気なママさん達
その絵の表現方法を伝えようと、弘前市内で絵画教室も開かれています。その場所は、二人が2015年に始めたハンバーガー屋「DUBOIS(デュボワ)」です。
デュボアのハンバーガーは県産牛を使用し、抜群の味で大人気
アメリカの大学時代、近所に8店ほどバーガー屋があり、毎日ハンバーガーを食べていた信平さん。本場のハンバーガーは、素材の味を活かしたあっさり味。無駄な味付けがなくても、中のパティがしっかりしていれば、毎日でも食べられるほど、飽きがこないといいます。その味が忘れられなかった信平さんは、自分で作ってしまったのです。
実はこの店、子育て中の人にも働きやすい職場を提供したい、という思いもあり始めたそうです。それは、順子さん自身が苦労した経験からでした。子どもが大変な時は助け合い、生き生きと働ける職場作りが、店のコンセプトのひとつでもあります。実際の職場環境は、スタッフさんの元気な笑顔を見れば一目瞭然です。
移住が教えてくれた感謝の心と人の縁
休みの日になると、家族でキャンプに出かけるなど、自然の中で思い切り遊ぶ井上さん一家。青森に居るからこそ、その場所らしい暮らし方をと考えています。
「青森という土地は簡単に移住できる場所ではないかもしれません。だからこそ、自分たちを受け入れてくれた地元の人達に恩返しがしたいと思っているんです」と話す井上さん夫婦は、この平川市八幡崎のために出来ることを精一杯したいといいます。
そして、自分たちと同じ移住者を助ける立場になってあげることが、目標だそうです。
カフェで行われている絵画教室。信平さんは技術ではなく、自然体で描くことを伝えている
知らない土地へ住むには、不安や苦労がさまざまあります。しかし、環境が変わることで今まで気づけなかったことや、当たり前にあったものに感謝する心が生まれたそうです。
「タイミングはいろいろあると思いますが、自分の気持に素直に従っただけです。あの決断があったからこそ、今あるご縁につながっているので、移住をして良かったと思います」と話すお二人。
移り住むということは、その土地を理解しその場に合った生活をすること。二人の暮らし方は、青森の人にとってもいい手本になっているのかもしれません。
【イベント情報】
平川市に移住し、青森の生活を楽しむ井上信平さん、順子さん夫妻に直接お話を聞いてみよう!
井上さん夫妻がゲストトークに登壇し、記事に書ききれなかった秘話も面白おかしく伺えます。
青森県の三村申吾知事や、世界的ゲーム機の企画開発担当した後、青森にUターンして活躍するゲストさんも登壇予定!
この機会をお見逃しなく!
★☆青森県合同移住フェア☆★
平成30年8月25日(土)13:00~17:00
サピアタワー5階 サピアホール(東京駅八重洲北口から徒歩2分)
詳細はこちら! http://www.aomori-life.jp/event/ijyuevent/detail.php?id=876
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