清野浩さん/ |
りんごの価値を高めたい
世界に名を馳せる青森りんご。一昔前までりんご農家は「忙しくて儲からない」という認識でしたが、海外輸出などで需要が高まっている近年はそのイメージを払拭しつつあります。
「それでも『食えない』という農家さんはいます。その人達の収入を増やす仕掛けや仕組みを作り、作る人も食べる人も笑顔にするのが私の夢なんですよ」と語るのは「あおもりワクワク倶楽部Infinity」の代表、清野浩さん(48)。
清野さんの仕事はりんご農家へ向けたコンサルティング業。また、週に数回は自ら畑で作業を手伝います。梯子の上で仕事をする姿が板についてきた清野さんですが、青森に帰ってくる前と今では仕事も性格も大きく変化しました。
嫌いだった自分の性格と芽生えた故郷への想い
弘前市で生まれ育った清野さん。高校卒業後は仙台で浪人生活を経て、都内の大学に進学。大学を出た後もアルバイトをしながら東京生活を謳歌し、29歳で医療機器メーカーの営業職に就きました。
専門知識を身につければ会社が変わってもキャリアップできると考えた末の決断。病院の先生や看護師の方に機器の使い方を教える立場で、自分の知識が増えるほど、先生方と対等に話せるようになり、それが成果に繋がっていくことが喜びでした。当時「青森に戻る」という選択肢は全くありませんでした。
一方で苦しんだのが職場での人間関係。「人との距離感がわからない。地域によって話す間合い、冗談の程度が違うんですよね。『この人はどこまで本気で言っているのだろう?』と感じ、思うように意思疎通できない不器用な自分の性格が、嫌いで仕方なかったです」。
自分の発言がどう捉えられるか不安で内向的になり、メンタル面で苦しむ日々。東京、大阪、神奈川と転勤しますが、どこに行っても思うようにうまくいかない日々が続きました。
青森を意識し始めたのもこの頃です。「東京だと周り青森と縁のある方が誰かしらいます。ところが大阪では全くいませんでした。『青森ってどんな場所?』と聞かれて『ねぶた、りんご、四季がはっきりしてる』、その程度の説明しかできなかったですね。青森のことをよく知りませんでしたし。そんな会話を続けるうちに『自分は青森県出身なんだ』ということを意識するようになり、いつか青森のために恩返しができないか、と漠然と考えるようになりました。」。
また、弘前で暮らす両親も気がかりでした。3人兄弟の清野さんですが、青森に残った兄弟は一人もいません。両親が共働きだったこともあり、親と遊んだ記憶も少なかったそう。「『このまま親のことを知らないのは嫌だな』、『家はどうなるんだろう』と心の片隅で感じていました」。
そして東日本大震災が発生。「それまでは会社と家を往復するだけの生き方。『生きたくても生きられない人がいる。自分は生かされているのだから、何かやるべきことがあるはずだ』と考えるようになりました」。それまで胸に秘めていた故郷と両親への想いが大きくなり、間もなくUターンを決意。転職先が見つかり、2014年から弘前で生活をスタートします。
自然の中で気づくこと
帰郷して最初の約1年は同じ業界に就きます。しかし残業が続いたことと、社風の違いに馴染めず、再び体調が悪化し退職。「定年まで会社勤めだと思っていました。でもこんなことをするためにUターンしたんじゃないんだ、という違和感はずっと抱いていました」と清野さん。
そして次の仕事を探していた頃、ふと眺めた新聞広告のチラシで「六次産業化プロデューサー」の記事を見かけて応募します。これは県の「あおもり産品販売促進専門員育成事業」というもので、県産品を販売するノウハウを学ぶ事業です。さまざまな研修先がある中、清野さんが派遣されたのが、たまたまりんご業界。そこで夏季はりんごを育て、冬はシードルに加工し、販売することを学びました。そして、この研修で人生が大きく動き始めます。
自然の中での仕事も畑作業も清野さんにとって初めての経験。すると仕事終わりのお風呂がなんと気持ちいいこと。一日を締めくくるビールもうまい、そしてよく眠れる。
「雨に濡れながらの作業も、修行みたいな感じがして好きなんです(笑)。当たり前の日常がなんと有り難いことか、生きていることに感謝するようになりました。自然はコントロールできないもの。今まではコントロールできないことまでコントロールしようとして、悩んでたんだと気付きました。りんごのおかげで、自分に起きる出来事を前向きに受け止めるようになれた気がします」。
8ヶ月の研修を経て清野さんは食の六次産業化プロデューサーの資格を取得。青森のことを知れば知るほど、新たな青森の価値に気付き、青森が好きになっていきました。
りんごと青森のために
身近なはずのりんごですが、実際に関わると初めて知ることばかり。育て方や品種、農家ごとのこだわりの違いなど知るもの全てが新鮮でした。とりわけ驚いたのが後継者が極端に不足していること。
「りんご農家は全体の2割ほどしか後継者が決まってないと言われています。せっかく140年以上かけて青森りんごが世界中に知れわたる時代になったのにもったいない。りんご産業の衰退は青森の経済に大きな影響を及ぼします。5年後10年後どうなるのだろう、と強く危機感を感じています」。
研修時代に学んだ会社でシードル作りに携わりながらも、「研修時にたくさん立てた青森を元気にする仮説を、検証していくにはどうしたら早いか」と考えていた清野さん。「自分で権限を持つほうが早い。やらないで後悔する人生にしたくない」とついに独立創業を決意。2017年8月に「あおもりワクワク倶楽部Infinity」を立ち上げました。
目指したのはりんご産業の価値を今以上に高めること。事業内容は農家から直接りんごを仕入れて販売したり、農家を6次産業化へ導く売り方やブランディング、ターゲティングやSNSの活用方法など様々。作る以外の全てをこなします。
最近取り組んでいるのが、もぎたてりんごの販売です。収穫してすぐのりんごは、一般的に出回るものとはまた違う味わいがあります。鮮度に価値をつけたこの商品は、口コミで広がり評判も上々。一本の木から穫れるりんごの個性食べ比べセットや、木のネーミングライツなどアイディアは尽きません。
また、畑で作業を手伝いながらりんごの知識を深めています。農家さんの理解を得て畑に出るのは週2~5回ほど。
自分のような働き方が、業界の人材不足解消の糸口になるのではと、作業の様子はフェイスブックで積極的に発信しています。
「青森の一次産業はブランド力もあってインフラも整っています。あとは気軽に関われる仕組みさえあれば、一次産業が職業選択のひとつになります。農業やって公務員より収入が多ければ、みんな興味持ちますよね」。
清野さんはUターンしてから、人が変わったように人生を楽しんでいます。実は「あおもりワクワク倶楽部Infinity」という少し長い屋号にこそ、清野さんの思いが込められているのです。
「りんごを通してキラキラ輝くたくさんの方と出会い、単純に自分もそうなりたいと思いました。地域を元気にするには大人たちがワクワク楽しんで暮らすことが大切。子どもたちがその姿を見て『青森って楽しそう』と思ってくれたら最高です。青森県も、りんごも、自分の可能性も『Infinty(無限大)』。いつの頃からかやらない理由ばかりを考えて、新しいチャレンジをしなくなっていました。好きなことに時間を思い通りに使っているいまの青森生活は、ものすごく充実してます」。
【イベント情報】
弘前市にUターンし、青森のりんごの可能性を広げる挑戦を続ける清野さんに、直接お話を聞いてみよう!
清野さんがりんごを活かして利益を地域に還元しようとした起業・創業だけでなく、青森で実現できるかっこいい農業、地域の山林を次世代につなぐ林業など、【攻める青森の農林業】をテーマに、様々な働き方について考えるイベントを下記のとおり開催します!
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