吉田広史(よしだひろし)さん/ 1977年、群馬県出身、福島県育ち。 大学時代は音楽に熱中。ニュージーランドで大規模農業に触れた経験を活かし、2004年から三戸町で農業に携わる。 にんにく農家を年商1億の農業法人に成長させた後、町内に「にんにく専門だるま食堂」をオープン。 現在は、三戸町と(株)読売広告社との共同出資によって設立した官民連携の地域商社、株式会社SANNOWAの代表も務め、町の活性化に向けて日々奔走している。 |
青森県はにんにく生産量日本一。田子町や十和田市といった県南地域は特に栽培が盛んで、車を走らせると各所でにんにく畑を目にします。「地域にとってにんにくは身近な存在なのに、地場産品に特化した飲食店が少ない。これは新たなチャレンジになると思って店を開きました」。そう話すのはにんにく産地のひとつである三戸町で、「にんにく専門だるま食堂」を営む吉田広史さん(42)。
吉田さんはこれまで農業法人の運営や、新たな販路の確立など、既存のスタイルにとらわれない手法を採り入れながら、「難しい」を楽しんでいる少し変わった経営者です。
音楽が与えてくれた成功の哲学
だるまの産地で有名な群馬県高崎市に生まれ、小学校からは福島県郡山市で育った吉田さん。高校卒業後は都内の大学に進みますが、勉強以外の目的で「進学」を選んだそうです。「高校時代からHIPHOPに没頭し、ラッパーに憧れていました。その聖地が渋谷。近くにいればチャンスを手にしやすいと思ったんです」。
その頃の吉田さんの目標が「渋谷のクラブで300人の前で歌う」ということ。周りの友人からは「絶対無理だ」と言われながらも、講義中は授業そっちのけでノートに歌詞を綴っていたそうです。
「『見返してやりたい』という意識があったんでしょうね」と吉田さん。反対の声が9割の中でも、地道に努力していると次第に仲間が増え、ついに19歳の時にステージで夢を叶えます。この成功体験で得た「人が反対することにチャンスと面白さがある」という考えは、吉田さんの人生の哲学になっています。
大学を卒業した吉田さんは、かねてから憧れていた海外に渡ります。ニュージーランドで1年ほど過ごして帰国すると、何かを始めたいと意識が芽生えていました。
「当時の人生のテーマが『良くないことを良くする』でした。仕事は何でも良かったので、熱くなりたかったんです」と吉田さん。
選んだ職場は地元の福島にある赤字続きの居酒屋でした。店全体が諦めの雰囲気に包まれていましたが、この体制を壊せば結果ができると信じ、丁寧な接客と掃除を徹底し、時にはスタッフと感情でぶつかることもありました。そして半年後には店を黒字に導きます。
「最優先はお客さんを喜ばすこと。そこまでの道のりで反対されることは多いです。でも反対が多いほど燃えちゃうんですよね」。吉田さんはそう笑いながら自分のことを語ります。
成功は次なる挑戦への通過点
目標を達成すると、次の挑戦をしたくなるのが吉田さんの性。三戸町を初めて訪れたのは、新たなチャレンジを模索していた25歳の時でした。同町出身のパートナーの実家が、副業でニンニクの栽培を始めるというので、手伝うことになったのです。
「青森に来る気は全くありませんでしたね。ただ、農家さんは昔ながらの手法と売り方を続けていたので『これを変えられたらカッコイイな』と感じました」。
次第に薄れつつありますが「農家は食えない」というイメージがまだまだ強い時代。しかし、吉田さんがニュージーランドで体験した農業は真逆で、農場経営者は尊敬されるような仕事でした。年商1億農業法人をつくりたい!新たな目標を引っ提げて青森に移住したのは2004年のことです。
設備と場所は用意されていたので、あとは栽培技術と販路の拡大でした。当初は吉田さんも生産に携わっていましたが、分業の必要性を感じるようになります。
「トラクターに乗りながら『この仕事は俺じゃなくてもいいな』と考えてました。生産と営業を分けて、好きな仕事に夢中になったほうが効率が良いんです」と吉田さん。
経営と営業を担う上で大切にしたのが「継続できる仕組みづくり」です。というのも営業先での評判が思った以上に良く、自社での生産が追いつかない自体に。その不足を補うために契約農家や仲間を増やして、安定的に商品を生産できる方法を確立します。また、外側を意識した情報発信も営業の内。ネットショップには早々に着手し、SNSやブログでは作業風景やにんにくレシピをアップ。中でも効果的だったのは「にんにくのよしだ家TV」のチャンネル名でYouTubeで配信した動画でした。
「農作業の大変さをFUN(楽しみ)に変えたかった。だから農家が一番見せたくない仕事の裏側をあえて伝えたんです。おかげで催事では『動画見たよ』という声が増えました」。
動画配信は名前を売るという目的だけではなく、ネットショップへのアクセス数を増やす導線でもありました。スタート時は月500円だったショップ売上は次第に増え、10年目には目標の1億を超える農業法人に成長したのです。
食も人も産地でまかなえる仕組みを
「自分がいなくてもビジネスとして回るようになればOK。そうやって働く場所と仕組みをつくるのが自分の仕事」と吉田さん。
その言葉通り、1億を達成すると農業法人の経営からは身を引きます。そして選んだのはより険しい「小さな町で飲食店をやる」という道でした。
国道4号沿いのこの場所は元々ラーメン屋でしたが、店をたたむというので吉田さんに話が舞い込みます。「居酒屋時代にサービスを徹底的に学んでいたので、その経験も活かせると思いました。当然周囲からは『無理』ということを言われます。口では『ですよね』と言いながら内心はワクワクしてました」と吉田さんは話します。
2015年にオープンした「にんにく専門だるま食堂」は、その名の通りにんにく専門の飲食店です。メニューのほとんどの料理ににんにくがイン。特にまるごと一個のにんにくを使った「ギガーリックラーメン」は味も香りもインパクト大で、多くのガーリックマニアが県内外から訪れます。この店のお手本になったのがイギリスのガーリックファームでした。そこでは栽培から飲食、宿泊までを手がけているのです。
「この辺りはにんにくの聖地なのに、食べられる場所は田子町のガーリックセンターだけ。無いならつくる、反対される中で成功させる、それってカッコイイことだと思うんです」。
単なる食堂で片付けられないのが、だるま食堂のもう一つのかっこよさ。不定期に「ONE CLICK」という、周辺地域の若者や夢を持つ同志をつなぐ交流イベントを開いています。実際にイベントで知り合った人同士で新たなプロジェクトが生まれたり、独立を決めたクリエイターもいて、新たなチャンスの場所として定着しています。
「背中を押されたい人もいますからね。そういう人が集まったら積極的にトライできると思う。地域活性化という言葉は好きではありませんが、地域にプレイヤーが増えて結果的に賑やかになれば最高ですね」。
批判覚悟で挑戦を続ける
2019年、吉田さんは「株式会社SANNOWA」の代表に就任しました。この会社は三戸町と民間企業の共同出資で設立した地域商社で、三戸町こだわりの「三戸精品」を県内外に売り込みながら、地域の価値を高めていくことが大きな目的です。会社自体は今年の1月に設立したばかりですが、商品開発等には生産現場の農家や町民も加わり、早くも新しい輪が生まれつつあります。
「ゆくゆくは『困ったらSANNOWA』という流れにしたいです。正直、にんにくの仕事を終えた時、東京に出ようと考えたこともあります。それでもSANNOWAの仕事を頂き、町での自分の役割がまだある気がしました。幸か不幸か移住者の私にはしがらみがありません。反対は覚悟のうえで、これからも挑戦していきます。結果が出れば応援する人も必ずいますから」。
つくり手の減る名産の紅玉(りんごの品種)の価値を高めたり、一旦は途絶えた三戸産ホップでビールを醸造したりと、向き合わなければならない問題は山積み。しかし、その困難な課題に向き合うことこそ、吉田さんが感じる三戸での生きがいなのです。
吉田さんが代表を務める「株式会社SANNOWA」のwebサイトはこちら
http://sannowa.co.jp/
【イベント情報】
11月16日土曜日に東京・有楽町で開催する青森県の移住相談イベント「あおもり暮らしまるごと相談会」で、吉田さんのお話が直接聞けます!
あおもりでの暮らしのヒントが得られるかも! この機会をお見逃しなく!
★☆あおもり暮らしまるごと相談会☆★
開催日時: 令和元年11月16日(土)12:30~15:30(受付12:00~)
会 場: ふるさと回帰支援センター セミナースペースC・D
(東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館4階 JR有楽町駅直結)
詳細はこちら・事前申込もこちらからどうぞ!
https://www.aomori-life.jp/event/ijyuevent/detail.php?id=1027