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移住者メッセージ

「青森だから」できたこと。逆境に立ち向かう精神で作り上げた青森での暮らし方

   

2020年2月 3日:更新

移住者メッセージ

プロフィール

   
ギャレス・バーンズさん/1984年アメリカ・ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。
高校を卒業後、米国空軍に入隊し19歳で三沢基地へ配属。もっと日本の文化を知りたいとの思いから22歳で退役し、弘前市へ移る。英会話講師として働くなかで、年を重ねても意味のあることをしたいと考えるようになり、以前から好きだったクラフトビールを青森でも作りたいと行動を始める。2016年に念願のクラフトビール醸造所「Be Easy Brewing」とタップルーム「ギャレスのアジト」をオープン。全国45箇所にビールを卸し、全国からファンが訪れる。
全国的に人気のクラフトビールですが、県内へ伝わってきたのはごく最近の話。その先駆けともいえるのが、弘前市郊外にあるクラフトビール醸造所「Be Easy Brewing」です。オーナーのギャレス・バーンズさん(35)が2016年にオープンし、全国へ青森発のクラフトビールを届けています。
「正直、日本は海外の人に厳しい。でもそれで落ち込むより、絶対成功させて見返してやろうって気持ちでここまでやってきた。進む道がないなら、自分で作ればいい」と話すギャレスさん。この成功には、相当な努力と苦労と情熱があったのです。

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軍人として日本へ。日本らしさを求めて選んだ津軽の地

 アメリカのフィラデルフィアで生まれたギャレスさんは、高校卒業後に米国空軍に入隊。軍に所属しながら大学院を卒業し、19歳の時配属になった三沢基地が初めての日本でした。戦地へも赴き、軍人として働く中で、日本の文化にふれたいと感じるようになりました。しかし、別な基地への配属命令が出てしまいます。何も分からないまま日本を離れたくないとの思いから、契約更新のタイミングでもあった22歳の時に軍を退役することに。

 基地がある三沢市ではアメリカ人も多く暮らしているため、どこか異国の雰囲気があり、「もっと日本らしい場所に住みたい」と考えたギャレスさん。そこで選んだのが、城下町である弘前市です。
「日本語は耳で覚えた。通訳してくれる人もいなかったから、少しずつ覚えていったね。だから自然とイントネーションが津軽弁になった」  

弘前では英会話講師として働きますが、3か月でその会社は倒産。保障も何もない状態で無職になってしまったため、日本らしい生活のスタートは最悪だったといいます。
「大学院まで進んで、軍人としても真剣に任務に取り組んできた。戦争にも行った。なのに雇用がない。それでも、もう少し頑張ろうと思った」
 
 その頃ちょうど出会ったのが、津軽三味線でした。弘前駅でたまたま演奏されていた三味線の音を聞き、この場所にしかない文化を学びたいと思ったのです。外国人だからといって甘やかされたくないと、必死に練習し、技術を磨き、大会へ出場できるほどの腕前にまでなりました。ギャレスさんの「どうせやるならなんでも本気でやり遂げる」という性格が、日本での生活の後押しとなっていたのです。

英会話教室からクラフトビールへ


 津軽三味線を学ぶ間も英会話講師を続け、自身の教室も開業。最大で80人以上の生徒がいるほど人気の教室だったのですが、英語を教えて終わりでは自分のためにしかならない仕事だと考えるようになります。年を重ねていった時に、意味のあることをしたいと思い、頭に浮かんだのがクラフトビールでした。
「もともとクラフトビールが好きだったんだけど、その頃はまだ東京とかにしかなくて、周りの人に話しても全然取り合ってくれなかった。それなら、自分で美味しいクラフトビールを作ろうと思ったんだよね」

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 クラフトビールは、小規模・小資本の醸造所で作られたビールのことで、本場アメリカには何千もの醸造所があります。原料や酵母、製法を変えることでそれぞれ違った味わいになり、アメリカでは大手メーカーよりも人気となっています。それを青森から発信したいと考えたギャレスさん。好きだからこそ、中途半端なものではなく、自信を持って「おいしい」といえるビールを目指す。ギャレスさんの挑戦が始まりました。

一気に全国へ広まった青森のクラフトビール

 「やりたいと思って動いたけど、当時は簡単じゃなかった。融資も難しかったし、相談してもクラフトビールなんて誰が飲むんだって言われたよ」と、苦しいスタートをきったギャレスさん。しかし、そこで諦める人ではありません。いつか驚くような成果を上げようと奮起し、自分の力で物件からスタッフまで探し歩きました。
 醸造免許を取得するまで約1年かかり、その間アメリカや山梨でビールの醸造技術を学びました。醸造タンクも海外から取り寄せたものを自身で組み立て、すべて自分の手で作り上げていきました。

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 「とにかく味で勝負したかった。だからレシピは全部自分で考えて、間違いのない味にしたかった」
 2016年にクラフトビール醸造所「Be Easy Brewing」とタップルーム「ギャレスのアジト」が完成し、ギャレスさんの心意気が詰まったビールが誕生しました。
 すると、最初は東京などの都市部のみだったのが、瞬く間に全国へと広まり、地方からも注文がくるほどになったのです。今ではギャレスさんのビールを飲んだ各地のお客さんが弘前を訪れています。中にはビール醸造を学びたいという人も。また、毎月大阪や京都ではギャレスさんのビールファンが集まるイベントが開催されており、青森に美味しいビールあり!と認知されはじめています。これもすべて、自分の力で真っ直ぐ進んだからこそ出来た成果でした。
「嬉しかったのが、大阪の人が青森のクラフトビールも試しに飲んでみるか〜くらいの気持ちで飲んだら、そこからうちの大ファンになってしまった。今では青森が全国のクラフトビールの上位にくるほどになったんだよ。そういう本物の味を作ることがしたかったんだよね」とギャレスさんは嬉しそうに話します。

「青森だから」できたこと


 情熱や技術も高いギャレスさんですが、東京などの都市部ではなくあえて青森でクラフトビールをつくったのは「青森だから」だといいます。 「よく、"青森だから無理"とか、"青森だから出来ない"とか言う人がいるけど、自分は青森だから出来たと思ってる。青森だから広い農地もあるし、醸造所のビルも都会より安く買える。同じ額の値段でも東京と青森では挑戦できることの規模が全然違う。東京でこんな建物買えないよ!(笑)地方だから誰もやっていないことを始めやすいし、お金は都市部から稼いでくればいい。醸造所も自宅も畑も、全部青森だから出来たこと」

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ギャレスさんは現在平川市に住居を置き、畑で無農薬のホップや野菜を育てています。農機も借りることができるため、これからは大麦も育てる予定だとか。青森は田舎だからこそ、さまざまなことにチャレンジしやすいのです。
 また、平川市は生活もしやすい場所だといいます。安全で静かな環境の中、4歳と2歳になる娘さんと散歩しながら、畑にある野菜の成長を見て「この小さい芽は何になるのかな」「この野菜はこうやって出来るんだね」など、自然を体感しながら学ばせているそうです。娘さんたちには今年から近くのスキー場でスノーボードを教えたいとも考えているとか。夜には素晴らしい星空も広がるなど、都会では考えられないような景色を日常で見ることができるのです。
「当たり前にあるものをちゃんと見れば、最高にいい場所だと思う。青森はいいものが多いんだから」
 ピンチをチャンスに変えて乗り越えてきたギャレスさん。青森に対する熱い想いを胸に、これからも新たな事業に挑戦していきます。



【イベント情報】    
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      (東京都千代田区外神田4-14-1)     
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