アレックス・クイーンさん/ |
「こんにちは!お待ちしてました!今年は雪が少ないですが、先日の青森市はすごかったですね。十和田も津軽のように地吹雪になることもあるので、冬は大変なんですよ」。青森県人同士でよく交わされる雪の話題と、青森県人らしいイントネーションで明るく出迎えてくれたのは、十和田市に住むアレックス・クイーンさん(31)。お話をしていると青森の好きな場所や理由が、ネイティブな津軽弁と共に溢れてきます。この方よりも青森を愛している人はいないのでは、と思ってしまうほど、アレックスさんは充実した青森ライフを過ごしています。
県内各地に住んでわかる十和田の良さ
10代の時は津軽で、20代の頃には下北での暮らしも経験したアレックスさん。十和田市のある南部地方での暮らしは初めてでしたが、実際に住んでみると嬉しい驚きの連続でした。
最も驚かされたのは豊かな自然。自宅のある十和田市中心からは、車で約30分走ると山、川、海、湖とどこでも行くことができます。しかも奥入瀬渓流や八甲田という、青森県内の名だたる名所が多いこと。中でもアレックスさんのお気に入りスポットが十和田湖です。平日の仕事を終えると、車で十和田湖周辺のキャンプ場へ向かい、そこで星を眺めながらまったり。朝は早めに起床し、ガイドの友人に教わったカヌーに乗り込んで、静寂に包まれた十和田湖を独り占めするというのが鉄板コース。あるいは、谷地温泉や酸ヶ湯といった名湯で体を癒やすパターンもあるそうです。
「温泉、キャンプ、スノーボード......。東京にいたらどれも一大イベントだけど、青森は日常でそんな贅沢ができる。しかも十和田の中心街には全ての機能が集約されてて、コンパクトシティとして成り立っています。津軽も下北も好きだけど、住みやすさで言えば十和田がダントツです」
また、「人」というのも重要なポイント。十和田市は歴史を掘り下げると、元々は移住した人々によって開拓された地域です。そういった素地のおかげなのか、外から来る人に対して、オープンな印象を受けたとアレックスさんは語ります。
「新しい人を気にかけてくれて、隣のおばちゃんは『ご飯食べてる?』と言って差し入れまでしてくれるんですよ。移住者も地元の人も隔たりなく交流しています」。
以前紹介した渡部さん夫婦や竹中さんのように、なぜか十和田市には移住者が集中しています。地元の人の優しさもさることながら、先輩移住者が多いというのも、外から来た人にとっては安心なのかもしれません。
五所川原が自分のルーツ
アメリカ出身のアレックスさんが青森と出会ったのは16年前のことでした。子供時代から言葉が好きで、スペイン語やロシア語の勉強をしていた11歳の頃、自分の町にホームステイで日本人の高校生がやってきます。
「高校生が来ていて、その子達からCDをもらったんです。中身は当時の日本で流行っていたバンドの曲。〝モンパチ〟とかね。日本語の響きって面白いと感じて日本語を学び始めようと決めました」。
その後、大学で交流を通して仲良くなったのが、五所川原市から来た大学院生でした。
半年間、アメリカの実家にホームステイしたのち、「いつでも遊びにおいで」という彼女の言葉を頼りに、初めて日本を訪れたのが14歳の時。「今思うと社交辞令だったかも」とアレックスさんは笑います。
しかし青森での経験は、生き方を左右するほど刺激的なものでした。青森を代表する焼き物「津軽金山焼」の陶芸体験をして、暑い日は鰺ヶ沢のビーチへ。特に夢中になったのが、製作から参加した立佞武多でした。その熱は今も冷めやらず、囃子としてその頃からほぼ毎年欠かさずに参加し続けています。
「夏休みの3ヶ月間は5年連続して五所川原で過ごしました。ホームステイ先が塾を営んでいたため、同世代と接する機会も多くて本当に楽しかった。僕にとって五所川原は青春です。この経験から、『将来は大好きな青森に住もう』と心に決めました」
青森を思いながら上京
アレックスさんは19歳でアメリカの大学院を卒業すると、外国青年招致事業で赴任したむつ市で、語学指導をしながら暮らし始めます。3年が経った頃、「スキルアップして青森に帰ろう」と今度は東京での暮らしをスタート。
「面接で訛っていたことが、面接官の印象に残って受かったのかな。上京してようやく標準語を使えるようになりました」とアレックスさん。東京では慶應義塾大学の職員として、学内の翻訳体制の構築やウェブサイトのリニューアル、補助金の予算管理などの業務を担っていました。
本業と並行して行っていたのが翻訳の仕事です。副業として20歳から始めた翻訳でしたが、東京での生活を初めてからは次第に忙しくなっていきます。ついには1人では手に負えない量になり、現在の同僚であるマイケル・ウォーレンさんに協力を依頼。
それでも翻訳の依頼は増え続け、大学から帰ると深夜まで仕事をする毎日でした。アレックスさんは以前から、青森公立大学国際芸術センター青森から仕事を頂いていたそう。ちょうど忙しさがピークを迎えていた時期に、その縁から舞い込んできた十和田市現代美術館の仕事がきっかけで、分岐点に立たされます。
「副業としては取り組めないほど大きな仕事でした。大学職員は代わりがいるけど、青森のことを知っていて、好きで、尚且つ青森を応援したいという人は自分しかいないと思っていました。それに東京の通勤ラッシュにうんざりしていましたし。10代の頃から地域貢献をしたい思いが根底にあったから、青森に帰ることを決めたんです」。こうしてアレックスさんはマイケルさんと共に青森へ拠点を移します。
働き方の提案で地域のために
「現代美術館との出会いが十和田との出会い。当初は津軽で物件探しをしていたのですが、中々決まりませんでした。困っている時に、当時の市役所の総務部長が紹介してくれたのが空き家店舗活性化事業です」。今の事務所「14−54」は対象となる物件の一つ。
十和田市中心街にある「14-54」は、カフェ、コワーキング、ライブラリー、イベントスペースを兼ねた奥行きのある空間。PCを持ち込んで仕事をする人、仲間同士で会話を楽しむグループなど、訪れる人も様々です。この奥にアレックスさんが代表取締役を務める「株式会社クイーン・アンド・カンパニー」のオフィスがあります。
2016年に設立したこの会社を支えているのが翻訳・通訳、写真映像撮影、IT技術を活用した業務改善やシステム開発という3つの事業です。中でも重要なのが、長年取り組んできた翻訳事業。単純に訳すだけではなく、自社のシステムを活用しながら、依頼者の用途や要望に合わせたデザインや、データベース化も含めた、トータルサービスの翻訳を提供しています。
「東京時代に、直訳して終わりという翻訳者が多いように感じました。その言葉の用途を見据えて、お互い納得できる品質に仕上げるまでとことん付き合うのが弊社のスタイル、というか翻訳はそうあるべきだと思っています。例えば『パンフレットを作りたいけど、英語圏の人にはどういう視点が受け入れられますか』というように、企画段階から関わるコンサル的な役割も担っています」とアレックスさん。
1年の4分の1は県外の取引先を回る営業に費やしているとのこと。その丁寧な仕事ぶりから、顧客にリピーターが多いのも頷けます。
正社員はマイケルさんだけですが、業務委託している仲間は約10人。この日、その1人である八戸市在住の女性が、アレックスさんと打ち合わせをしていました。お話を伺うと「アレックスは発想が新しくて、働き方を柔軟に考えてくれます。在宅で子育てしながら働けるから嬉しい」とのこと。14-54を運営しているのも、自由な働き方で豊かなライフスタイルを提案したいという、ひとつの地域貢献の形なのです。
来年、クイーン・アンド・カンパニーではイギリスにも拠点を設ける予定です。そこで新しく始めたい事業が、東北の食や伝統文化の面白さをイギリスに伝えること。例えば日本酒。材料や製造工程、造る人の思いや土地の文化を知ると「日本酒は奥が深いんだ」というように興味を持つ人が、今まで以上に増えるかもしれません。海外に進出してみたいという職人を手助けしたり、ポップアップショップを展開するなど、形は様々ですが、「架け橋になりたい」とアレックスさんは夢を膨らませます。
「『十和田じゃなくてもいいじゃん』なんて言われるけど、十和田だから意味がある。地域に雇用を生んで、税金という形で地元に貢献する。それは些細なことかもしれないけど、この街が好きだから続けたい。拠点が増えても青森に貢献できるよう、今後も着実に事業を拡大していきたいです」
【イベント情報】
2020年1月13日(月・祝)に東京・秋葉原で開催する青森県の移住相談イベント「青森暮らしセミナー」で、アレックスさんが青森県でどのように暮らしているか、直接聞いてみませんか?!この機会をお見逃しなく!
★☆青森暮らしセミナー~津軽と南部!面白いのはどっちだ!~☆★
開催日時: 令和2年1月13日(月・祝)14:00~17:00(受付13:30~)
会 場: 秋葉原UDX 4階 ギャラリー
(東京都千代田区外神田4-14-1)
詳細はこちら・事前申込もこちらからどうぞ!
https://www.aomori-life.jp/event/ijyuevent/detail.php?id=1043