中平将義(なかだいまさよし)さん/ 1982年新郷村生まれ・在住。三本木農業高校卒業後、音楽活動をするために上京。クラブミュージックに目覚めDJ活動をスタート。CM音楽制作やイベント主催などを手がける。2009年、父親の病気を機にUターンし家業の農業を継ぐ。2017年、地元の同級生や県内の仲間とともに新郷村初の音楽イベント「村魂祭(そんこんさい)」を開催。 |
東京での音楽活動を経て、2009年にUターンした中平将義さん。家業の農業に従事するかたわら、県内各地でクラブDJを行ったり、仲間とともに新郷村初の音楽イベント「村魂祭(そんこんさい)」を開催。最近では、野山に自生する草木の造形美に魅せられ、オブジェ制作にもトライ。クリエイティブなセンスを生かし、自分がおもしろそうと思うものをとことん楽しんでいます。
絶対に農家にだけはなりたくない!と反発
「小さい頃から家業の農業をさんざん手伝わされて育った反動で、絶対に農家にだけはなるもんか!と(笑)。小学校の頃は家にあったギターを弾いて、『俺は、将来ギタリストになるんだ!』と、宣言していました」。そう言って、屈託のない笑顔を見せる中平将義さん。高校卒業後は、八戸市にある情報系の専門学校に進学したものの、音楽への夢があきらめきれず中退。上京して本格的に音楽活動を始めようと計画します。
「当時は、パソコンを使った音楽制作が主流になっていた時代。機材を購入するための資金を工面しなくては...と、思っていた矢先、たまたま雑誌に富山県の工場の募集広告が載っていて。『三交代制、月給30万円』の文字に惹かれて富山に直行しました(笑)」。
音楽の夢を抱いて、いざ東京へ!
資金を貯め、1年後に東京で音楽活動を始めた中平さん。
「最初の頃は、ひたすら曲作り。トータルで100曲ほど作ったでしょうか。でも、大手音楽会社に売り込んでは落ち、いろんなコンペに出ては落ちて...の繰り返しでした」。
中平さんは、クラブミュージックに目覚め、DJ活動をスタート。都内でライブ活動も行っていました。そんななか、大手音楽会社が主催する新人を対象としたジャズのコンペで注目されたのを機に、少しずつ仕事が舞い込むように。CMの音楽制作を手がけるチャンスにも恵まれました。 渋谷や六本木のクラブでイベントも主催し、多い時には800人を超える観客動員数を記録することもあったと言います。
土・日は、音楽仲間と2人で自宅を会場に音楽教室を主催していました。「今の時代であればYouTubeを観れば一目瞭然ですが、当時は『パソコンで楽曲制作をしたいけど、操作方法がわからない』という人が結構いたんですよ。そんなニーズに合わせて具体的なノウハウを教えていました。お客さんは途切れなかったですよ。いつも満席でした」。
Uターンして畜産と米作りの毎日
東京で音楽活動を始め、そのまま地元には戻らないつもりだったという中平さんですが、27歳の時に実家の父が体調を崩したという知らせが入りました。
「母親から実家に戻ってほしいという電話が来たんですが、自分としては人生の絶頂期だったので...。いろんな思いがぐちゃぐちゃになって泣きました」。
ついに覚悟を決め、2009年にUターンした中平さん。実家は、地元で約80年近く続く農家です。
「帰ってきた時は、祖父母が畜産をやっていて牛が200頭ほどいました。母親は米を作っていたんですが、田んぼの面積が3.75ヘクタールと、この辺ではわりと大規模農家なんです。こっちに帰ってきてからトラクターやけん引免許を取って、手探りで畜産と米作りを始めました」。
1年目は無我夢中。「米作りの手引き書を片手に、ひたすら基本に忠実に。薬剤散布も施肥もすべて教科書通り、田んぼの水深は、ものさしで測ってましたから(笑)。それが功を奏したのかどうかわかりませんが、その年は我が家だけダントツの大豊作。農家1年目にして中平家始まって以来のお米の収穫量をたたき出しました。」
10月末から4月までは完全オフ! 仕事も趣味も"リア充"
中平さんは、31歳の時に岩手県の女性と結婚し、現在、実家の隣の自宅で奥さんと6歳の息子の3人暮らし。祖父が現役をリタイアしたこともあり畜産は廃業し、現在は東京ドーム1個以上の農地で水田とにんにくを中心に栽培を行っています。
「農家の仕事はきつくて拘束時間が長い、そんなイメージがありますよね。実際、俺が子どもの時はそうでした。でも、俺は同じ農家の仕事をするにも、楽しみながら、そして自分の時間も充実させて暮らしたいんです」。
中平さんは、重労働の草刈りを最低限に抑え、販売ルートも独自に開拓するなど効率的な方法を採用。農家の仕事は原則として8時~17時と決め、10月末から4月までは完全オフ。コロナ禍の前にはオフシーズンは旅行に行ったり、八戸市内でDJをして過ごしていました。夏には、友人と家族ぐるみでキャンプやバーベキューをしたり、のんびり過ごしています。
新郷村初の音楽イベント「村魂祭(そんこんさい)」を開催
県内各地でDJ活動を行ううちに、あちこちに友達ができたという中平さん。2017年には、地元の同級生や県内の友人たちとともに、「間木の平グリーンパーク」で新郷村初の音楽イベント「村魂祭」を開催しました。会場は、場内どこでもテント設営が可能なことから、大自然のなかでキャンプをしながら星と炎と音楽を楽しんでもらおうという企画。昨年はコロナ禍の影響で開催できませんでしたが、毎年県内外から数百人が訪れる人気のイベントです。
「大きいイベントだから...ではなく、あいつに会いたいから行く。誰と会えるか、そこでどれだけ楽しく過ごせるかがすごく大事だと思うんです。集客もSNSよりも直接話した方が伝わる気がして、ダイレクトに電話で誘いました。"オフラインつながり"で、みんなとの心の距離が近くなった気がします」。
ディープな村人との愉快で心豊かな暮らし
中平さんに、新郷村の魅力を尋ねると「腹がよじれるくらい面白いヤツが、ワンサカいること!」という答えが返ってきました。
「伝説として語り継がれるくらい面白いエピソードをもった連中が、この村にはざっと100人はいます(笑)」。
中平さんとの会話のなかには、そんな愛すべきディープな村人たちが次々に登場し、新郷村がどんどん面白く感じてきます。
「東京の友人に、『新郷村は、5LDKの一軒家が1万円で借りられるぞ』って言うと、みんなえーって驚きますね。それに、家賃だけではなく生活コストも安い。基本、野菜は物々交換。雪室じゃないけど、野菜は作業小屋に貯蔵し、毛布をかけておいて冬の間食べるんです。俺はお金がたくさんあることに価値を求めていないし、仲間と心豊かに暮らせることが一番大事です!」。
中平さんの"リア充"な暮らしに憧れ、東京などから移住してきた人もいるといいます。この日は、2020年に新郷村に移住したアメリカ出身の友人の家に遊びに行くというので、同行させていただくことに。笑顔で出迎えてくれたクリストファー・トーマス・カールセンさんは、2013年まで新郷村の外国語指導助手(ALT)を務めていました。その後、ヨーロッパやアジアなど20カ国以上の国々を旅して、移住先に選んだのは新郷村。その理由を尋ねると、「自然が美しくて、人々が温かい。世界一好きな場所だから」と、ほほ笑みます。
「今、クリスにギターを教えている最中なんです」と、中平さん。昨晩は、クリスさんを中平家に招いて夕食を囲み、今日はクリスさんの家でランチの予定。クリスさんは、最近、日本人の女性と結婚したばかりで、まもなくここで新しい暮らしが始まります。新郷村にさらに新たな仲間が加わり、中平さんもうれしそうです。
新郷村の野山の恵みをアートなオブジェに
中平さんが最近、夢中になっているのは、野山の植物や流木を使ったオブジェ作り。
「もともと、音楽フェスのステージ装飾を作ろうと YouTubeを観ながら作っているうちに、すっかりはまっちゃって。集中している時は、アトリエにしている小屋で深夜3時頃まで作業することも。これは自然の恵みを集めた木。ツルウメモドキ、野バラ、ススキ、すべて新郷村の自然の恵みです。」。
持ち前の明るいキャラと抱腹絶倒のトークで人々と交流を深めながら、オンもオフも存分に楽しむ中平さん。ユニークな視点で地元をとことん面白がりながら、新郷村での暮らしを満喫しています。