移住者メッセージ

Uターンは人生の必然 趣味を満喫したリア充な下北暮らし

   

2021年4月30日:更新

移住者メッセージ

プロフィール

   
佐藤恭太(さとうきょうた)さん/ 1984年むつ市大畑生まれ。仙台市の大学を卒業し、同市内に就職。23歳でWEBデザイン会社「CODWORX」を設立し、結婚・子どもの誕生をきっかけに帰郷を決意。
WEBデザイナーとして、時間や場所に縛られない仕事の合間に下北半島の海や山をフィールドに、魚突きや釣り、山菜採りやキノコ狩り、キャンプなどリア充な暮らしを満喫中。花火師や地域伝統芸能の活動にも取り組む。

仙台での都会生活を経験し、育児環境への思いからむつ市へUターンしたWEBデザイナー・佐藤恭太さん。場所を選ばずノートパソコンひとつでできるIT業種の強みを生かし、釣りや山菜採り、キャンプなど、大自然に囲まれながらリア充な暮らしを満喫。自然や人など下北の資源、ポテンシャルを拡げるさまざま事業にチャレンジしています。

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幼少時代に過ごした海や山との共存に思いを馳せた都会での暮らし

 大学生活、インターネット広告代理店勤務、独立創業時代を宮城県仙台市で過ごした佐藤さん。都会の喧騒、雑踏に身をおきながらも、下北での幼少期によく遊んだ海や山に恋焦がれ、ゆくゆくは地元に戻ろうという漠然とした想いを持ち続けていました。
 大学卒業後、仙台市にあるインターネット広告代理店に勤務して3年ほどたった頃、ヘッドハンティングを機に専門の制作会社に転職することになりました。
「めちゃくちゃハードで1日20時間仕事していたこともありました」。
 精神的にも肉体的にも過労状態が続くなか、その敏腕な仕事ぶりを買われ、以前の企業からも再スカウトの機会もあったのですが、一度恩義に背いた感が否めず独立を決めたといいます。
「無我夢中で働いて、23歳の頃結婚、出産を機に仕事の幅を拡げようと思ったのですが、思いのほかうまくいかなくて。仙台市内のおしゃれなバーでお酒を飲んでいても満たされなかったですね。スクランブル交差点あたりで人が行き交う風景に疲れちゃったりして。今思えば、性に合わなかったのだと思います」。

子どもの誕生が移住の後押しに

 3人の子の父となり、子どもたちの成長を見つめる日々のなかで、自身の幼少期の日々を思い返すようになり、自然豊かな故郷への思いは日に日に増していきました。
「小中学校の頃は、いつも海に潜って釣りをして...そんな経験から、豊かな自然の中でのびのびと子育てしたいという思いは強かったです。移住の話を切り出した頃は、仕事のクライアントをはじめ、仙台出身の妻にも猛反対されました。妻にしてみれば、生まれ育った仙台を離れ、見ず知らずの土地に移住することは本当に不安だったと思います」。
 周囲への説得を続けてようやく実現した下北生活。近頃のキャンプブームも手伝ってか、今ではめっきりインドア派の奥様ともキャンプの楽しさを共有できるようになり、近隣のほか夜越山や夏泊半島、津軽方面へキャンプに出かけ、家族で青森の大自然を満喫しているといいます。
「自宅から300メートルほど離れたところがもう海なんです。すぐ目の前といった感じ。7歳になる娘が最近素潜りについてくるようになったので、ウエットスーツを買ってあげました。シュノーケルをつけてプカプカと浮いているだけですが。海から上がった後は、家の前でプールに水を張って砂を落とせるし、後始末も苦にならないんです。」
 自然に囲まれた日常が子どもたちの視野を広げ、のびのびと大らかに育っています。

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日の出とともに1日がスタート 自由時間を取り入れ計画的にミッションを遂行

 毎朝、日の出とともに起床して海で魚を獲ったり、ゆっくりと朝食をとったり...。体内時計を整えてから仕事に着手します。ノートパソコンひとつを抱えて、図書館やファミリーレストランなど、外で仕事をすることが多いといいます。投げ釣りをしながら仕事をすることもあるそう。その場その時のインスピレーションを大事にしながら、気ままにその日のミッションをこなしています。

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 移住してからも仕事の相手先は9割以上が関東方面や宮城県など県外案件。打ち合わせなどもチャットでやり取りしているので、時間的にも自分のペースでできるし、環境としては恵まれているとのこと。ただ、今年度は新型コロナウイルスの影響で、売り上げの7~8割が地元企業の案件にシフトしたといいます。
「県外のクライアントの多くは宿泊業やウエディング関連で、コロナの影響によって売り上げが激減してしまいましたが、逆に、サイト構築などの案件が一気に増えてきています。コロナ禍にあっても違和感なくそれに適合できるのがIT業種の強みだと思っています。」

地元キーマンたちとの交流がもたらす充実感

 もともと生まれ育った地元ということもあり、地域のコミュニティにはすんなりと溶け込めたと話す佐藤さん。
「戻ってきた時点では、知り合いといえば同級生ぐらいでした。思い切って『むつ青年会議所』に所属したことからイベントに駆り出されるようになり、さまざまなジャンルで活躍している人達とのつながりができ、活動の幅が広がりました。ご縁ですね」。
 地域の伝統芸能「能舞」の楽器隊に所属したり、花火師としてイベントで打ち上げを手伝ったり。「忙しいけれど、とても意義を感じている」、と佐藤さん。仕事や趣味以外にも、地域の町おこしや、自然や人を資源としたさまざまな活動を通して、ネットワークがゆるやかに育まれています。

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下北のポテンシャルを拡げる、飽くなきチャレンジ

 たくさんの美しい天然資源を有する下北半島。しかし、時代の変遷やとともにその風景は少しずつ変化しているといいます。2020年11月、風間浦村下風呂の共同浴場「大湯」と「新湯」が老朽化によって50年の歴史に幕を閉じました。このことをきっかけに、「人々の記憶や思いを後世につないでいきたい」と一念発起。有志たちとともに、思い出の写真やクラウドファンディング資金を募集して「記録誌」の制作に取り組みました。
「ここはただの銭湯ではなく、特殊なコミュニティ創生の場。大湯・新湯に親しんだ子どもたちが、後の世において鮮やかに思い出せるようこの記録誌を分厚く本質を捉えたものにしていきたいです。」感謝と熱意を自身のSNSでつづっています。
 一方で、屋外で遊ばない子どもが増えているという現況をずっと気にかけていると話す佐藤さん。
「昨夏、青年会議所主催で『薬研渓流シャワーウォーク』というイベントを運営しました。滝に飛び込んだり、天然のウォータースライダーを滑ったり。カッパと一緒にずぶぬれになって遊べるイベントです。コロナ禍でイベントの自粛が続くなかで子どもたちに何かしてあげたいと思って」。
 ノスタルジックに思いを馳せながら下北の未来を繋ぐ。佐藤さんのUターンは必然だったのかもしれません。 次なる野望はクロマグロを銛で獲ること。佐藤さんのアクティブな下北チャレンジは、今後も続きそうです。

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