祐章さん/ 1981年12月青森県七戸町生まれ。 リンさん/ 1985年4月中国湖北省生まれ。 ご夫妻と祐章さんのご両親との4人暮らし。 2012年12月に祐章さんのご実家のある七戸町へUターン。 |
海外で日本語教師、観光業への従事を経て地元へUターン
・祐章さん
「高校卒業と同時に上京し東京の大学を卒業後、日本語教師の資格を取得して中国の広東省珠海市で2年半日本語を教えていました。奥さんとは日本語を教えていた学校で出会ったんです。その後マカオにも5年半ほど住みました。」
マカオでは、旅行会社で観光ガイドをされていた祐章さん。
多いときは毎日40~50人のツアー客をアテンドする多忙な日々だったそう。
「忙しかったけれど、マカオでの生活は楽しくて当時は日本に帰ろうとは思っていなかったです。」
と当時を振り返る祐章さん。
それまでの生活から一変、地元青森へUターン
〇なぜUターンを決めたのでしょうか?
「3人兄弟ですが、当時みんな地元を離れていて。僕自身は田舎生活に抵抗がなかったし他の兄弟も帰る雰囲気がない。じゃあそろそろ親のいる地元に帰ろうかなと。帰って農業をやろうと思ったのは、母が農業を営んでいたのと、父も地元で農家民泊を通じた国際交流事業を行っていたのがきっかけでした。」と祐章さん。
Uターン後、ご夫婦で野菜を中心とした農業をスタートさせました。
人口密度世界一、一年を通じて多くの観光客が訪れる他、4月から12月まで30度を超える暑さというマカオから一転、戻ってきたのは雪国青森。
「雪深いし暗くなるのも冬は早いから、時間が長く感じると、最初は戸惑うことも多かった。」とリンさんは振り返ります。
地域をもっと盛り上げたい
祐章さん
「父が「かだれ田舎体験協議会」という農家民泊を受入れる団体の会長をやっていて。台湾や香港のお客さんも民泊に来るので、農業をしながら農家民泊や農業体験の受入れもしています。今年は七戸中学校と台湾の中学校の交流事業も始まったので、事前学習から引率までも担当しています。今後もいろいろなことに挑戦して地域全体を盛り上げていきたいなと思っています。」
農家民泊の宿泊者と一緒に農作業(右から2番目が祐章さん)
奥様の名前から命名された無人直売店「りんりん」前で農家民泊の宿泊者と一緒に
(左から2番目が祐章さん、右から2番目が奥様のリンさん)
地域の子どもたちを育てることが未来をつくる
・祐章さん
「お祭りや運動会、農家民泊などを通じて地元の子どもたちと関わることも多いです。子どもたちには、将来また地元に戻ってきたいって思ってもらいたい。町を一度出るのはいいことだと思うんです。むしろ一度出ていろんな世界を知ってほしい。でも、戻ってこいって言わなくてもいずれ自分から戻ってきたいと思うような、そんな子どもたちを地域に増やしていきたいと思うし、その使命は僕らみたいな現場、畑にいる人間の役割のような気がしていて。一般的には農業は大変で儲からないというイメージがあるかもしれない。でも将来子どもたちが農業を継ごうと思えるように、農業=貧乏という図式を僕らが変えていく必要があると感じています。」
と地元への思いを語ってくれました。
学生を引率して海外研修へ(後段左から3番目が祐章さん)
移住して農家になるなら七戸町がおすすめ!
・祐章さん
「畑はいくらでもあるし、ベテラン農家も多いから教えてくれる師匠もいる。ここは農業する人にとって最高の環境だと思います。僕もいまだに師匠にはお世話になっていて。 優しい人が多い。30代の農家も多いので住みやすいと思います。この地域はUターンしている若手農家さんも多いんですよ。」
〇これからチャレンジしたいことはありますか?
・祐章さん
「これまでこの地域で栽培していなかったものもどんどんやっていきたい。今地元のレストランからの依頼でベルギーエシャロットの試験栽培なんかもやっています。」
ちょっと変わった新しい農業をやりたい人にとっても良い環境だと話してくれました。
・リンさん
「農業をしながら、外国人観光客の通訳や翻訳の仕事もしています。先日は、津軽半島にサイクリングに来たツアー客をご案内しました。今後はそうした仕事ももってやっていきたいと思っています。」
若手農家の産直市「あおもりマルシェ」にも夫婦で出展
〇最後に、七戸町の良さはどんなところでしょうか。
・祐章さん
「この町に可能性を感じる。人が少ないからこそ、役割は一人ひとり当然多くなってくるんだけど、それを達成するおもしろさがある。子どもたちと関わるのも楽しいですね。未来の七戸の「スター」にしようと思って接しています。 ただ、正直に言うと、病院は不便です。レストランも少ない。車で十和田市まで行っています。でも戻ってきて後悔したことはありません。」